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本庄市インフォメーションセンター
JR高崎線本庄駅にある観光案内所。 観光パンフレットなど市内の情報を得られるほか、本庄市の土産品も販売しています。 本庄市観光協会推奨土産品のお菓子やはにぽんグッズ、本庄絣の取り扱いもございます。
所在地 | 埼玉県本庄市駅南2-2-1 |
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TEL | 0495-21-2111 |
FAX | 0495-24-4196 |
ホームページ | https://www.saitamagrandhotel.com/honjo/ |
駐車場 |
210台 |
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インターネット Wi-Fi |
有 |
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クレジットカード |
JCB,VISA,マスター,UC |
JR高崎線本庄駅にある観光案内所。 観光パンフレットなど市内の情報を得られるほか、本庄市の土産品も販売しています。 本庄市観光協会推奨土産品のお菓子やはにぽんグッズ、本庄絣の取り扱いもございます。
金鑚神社の例大祭が行われ、その附祭りとして毎年11月2日・3日に開催されます。明治の初期から大正にかけて造られた絢爛豪華な江戸型人形山車8基と、平成の山車2基が引き回されます。11月3日正午からの山車の巡行に先立って、昔さながらの御神幸行列が中山道を練り歩きます。また、夜にははにぽんプラザに山車10基が集結し、勢揃いします。
本庄城趾の八坂神社で、疫病を追い払うために神輿を担いだのが祭礼の始まりです。各町内の大人御輿や子ども御輿、団体御輿が威勢のいい掛け声とともに町を巡行します。また、八坂神社の境内では、無病息災、五穀豊穣を願って県指定無形民俗文化財の獅子舞が奉納されます。
明治29年(1896)に建てられたレンガ造りの倉庫は、繭や生糸の保存倉庫として使用され、本庄の絹産業や経済を支えてきました。国登録有形文化財に指定されています。
本庄市と早稲田大学が共同で開設するミュージアムです。旧石器時代にはじまる本庄市の歴史を考古資料からたどります。笑う盾持人物埴輪やガラス小玉鋳型の完成品など全国的にも希少な資料のほか、早稲田大学所蔵の貴重な資料の数々をご覧になれます。
蓮生堂は、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である「源頼朝」に「日本一の剛の者」と称された武将「熊谷次郎直実」の遺骨が埋葬されていると伝えられている小堂です。その小堂を守るように咲くしだれ桜は雄大で、とても美しく、地元の人々から「熊谷桜」と呼ばれ、愛されています。 見ごろ:3月下旬から4月上旬
大化の改新の制により実施された班田収受法の遺跡です。地名ともなっている十条の名は、南より第十条にあたるということで、現在その碑が残っています。 昭和51年(1976年)までは、地名ばかりでなく、実際に条里地割の残っている場所が幾つもありましたが、土地改良により条里区画の大部分が新しい区画に変わってしまいました。しかし、十条条里遺跡の一部は、現在の区画の中に保存されており、地中には、かつての畔や溝が残されていると考えられます。
国内で唯一発見された「四つ竹(カスタネット)を演奏する埴輪」や「踊る女性埴輪」は必見! 土器や石器なども多数展示するほか、上里の偉人でNHK連続テレビ小説の主人公になった“日本女性初の水上機操縦士”「西﨑キク」の生涯も紹介している。
ぼけ封じ関東三十三観音霊場の三十番札所になっている立岩寺は、ぼたんとして知られています。前々住職と親交の厚かった児童文学者・故小野忠孝の詩碑が静かに見下ろす境内には、赤白黄に紫など多彩な牡丹130種1、500株と藤の花などが見事に咲きそろいます。
金窪城は、治承年間(1177〜80)に加治屋治が築城し、天正10年(1582)の神流川の合戦で落城後、川窪氏が城主となり、丹波に転封する元禄11年(1698)に廃城となりました。土塁や堀の後が一部に残り、往時を忍ばせています。