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ちょこたび埼玉

埼玉六宿をぶらり街歩き

埼玉六宿をぶらり街歩き

江戸時代の面影を残す日光街道の宿場町を歩こう

埼玉県を縦断するように走る日光街道。江戸日本橋から日光東照宮までの長旅を支える宿場として、
草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿、杉戸宿、幸手宿、栗橋宿と、かつて県内には6つの宿場町がありました。
それぞれに繁栄した町の各所にはいまもなお当時を思わせる史跡の数々が残されています。
そんな江戸の足跡を辿る旅へとご案内します。

江戸幕府によって整備された五街道のひとつで、
江戸時代には日光道中または日光道と呼ばれていました。江戸日本橋を起点とし、
日光坊中(日光東照宮)までの総延長は36里3町2間(約142km)に及びます。
そこには21の宿場が設けられ、大名が宿泊・休憩した本陣、
脇本陣などが置かれたほか、旅籠、木賃、茶屋や商店が建ち並び、
町場を形成しにぎわいを見せていました。

俳聖・松尾芭蕉ゆかりの地

草加宿(草加市)

日光街道2番目の宿場町。草加宿の北側に位置する綾瀬川右岸沿い約1.5kmの松並木は「草加松原」と呼ばれ、紀行文『おくのほそ道』で松尾芭蕉が歩いた街道だと伝えられています。現在では遊歩道になっており、「おくのほそ道の風景地」として国の名勝に指定されています。札場河岸公園内にある芭蕉のブロンズ像は、1989年におくのほそ道旅立ち300年を記念して建てられたものです。

地元では“とうふくじさん”と親しまれている「東福寺」は、草加宿の礎を築いた大川図書が創建したと伝わる寺院です。本堂内外陣境彫刻欄間、山門、鐘楼は、市の指定文化財に指定されています。また江戸時代末期の町屋建築「旧久野家店舗」を活用した「草加宿神明庵」は、草加宿を訪れた人たちや草加市民のためのお休み処として、いまでは地域の集いの場になっています。

01. 松尾芭蕉像
02. 東福寺
03. 草加宿神明庵

家康や秀忠が鷹狩りに興じた

越ヶ谷宿(越谷市)

日光街道3番目の宿場町。この地域は元荒川沿いの低湿地地帯で、野鳥が多く、徳川家康や徳川秀忠も「越ヶ谷御殿」に休泊し、民情視察を兼ねて鷹狩りに度々訪れたと言われています。その後、御殿は江戸大火によって江戸城が消失したため、将軍の仮殿として江戸城二の丸に移されました。御殿跡には石碑が建てられ、「御殿町」という地名として、その歴史はいまも残っています。

武蔵国三十三観音霊場27番の「天嶽寺」は、古くは小田原北条氏の城砦に用いられたと言われています。徳川家も狩猟のついでに立ち寄ったのだとか。また国の登録有形文化財である元商家「旧大野家住宅」はリノベーションされ、2018年より、宿場町の風情残る洗練された空間にこだわりのショップやレストランが入居する古民家複合施設「はかり屋」として生まれ変わっています。

01. 越ヶ谷御殿跡
02. 天嶽寺
03. 古民家複合施設「はかり屋」

江戸からの旅人が疲れを癒した

粕壁宿(春日部市)

日光街道4番目の宿場町。粕壁宿は日本橋より9里2町(約36km)の距離に位置しており、徒歩でほぼ一日の距離でした。そのため早朝に江戸を出発した旅人の多くが夕方に到着して、ここで宿を取ったと言われています。日光街道の名残で「旧商家東屋田村本店」の前には日光・岩槻・江戸の三方面の方角が刻まれた道しるべが残されています。

粕壁宿の西側は寺町と呼ばれ、多くの寺院が集まっていました。その中でも「最勝院」は日光山に埋葬する徳川家光の遺骸が一時安置されたといわれる寺院です。境内は広く、大相撲の地方巡業やサーカス、芝居の興行、武道大会などにも利用され、人々が集う場所でもありました。また「山中千手観音堂」は江戸時代の俳人・増田眠牛を弔うために建立されたお堂で、家内安全の観音様として信仰を集めたそうです。

[春日部市役所 シティセールス広報課 シティセールス推進担当]
https://www.city.kasukabe.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkazaihogoka/gyomuannai/8/2/1/1/kasukabejuku/index.html

01. 旧商家東屋田村本店
02. 最勝院
03. 山中千手観音堂

近郷商圏の中心地となった

杉戸宿(杉戸町)

日光街道5番目の宿場町。1616年に人馬によって隣の宿場から運ばれてきた荷物を、次の宿場へ運ぶ「人馬継ぎ立て」を命じられ、成立したと言われています。多くの人が集まる当時の高札場には幕府が決めた法令や掟書などを記した木札が掲示されていました。この「杉戸宿高札場」は2016年に開宿400年を迎えた記念に、地元住民や町内企業、日本工業大学の学生らの協力によって復刻されたものです。

日光道中の祈願所として信仰を集めた「宝性院」は、戸籍の把握や寺子屋教育、旅籠屋の代わりなど、重要な役割を担っていました。境内には、日光道中の道しるべとして建てられた石造りの馬頭観音がいまも残されています。また香取神社、神明神社とともに杉戸宿の鎮守のひとつ「愛宕神社」には火災をも生き延びた大きなイチョウがあり、歴史を感じさせてくれます。

[杉戸町役場 商工観光課 魅力発信担当]
https://www.town.sugito.lg.jp/site/sugitozyuku-pocketbook/10508.html

01. 杉戸宿高札場
02. 宝性院
03. 愛宕神社

日光街道3番目の規模を誇る

幸手宿(幸手市)

日光街道6番目の宿場町。徳川家康を祀った日光東照宮を将軍家が参詣するための街道であった「日光御成道」との合流地点でもあり、重要な地だったと考えられています。城下町に併設された宿を除くと、千住宿、越ヶ谷宿に次ぐ日光街道3番目の規模を誇っていました。現在「正福寺」の境内には、右面に「ごんげんどう可し(権現堂河岸)」左面に「日光道中」と彫られた大きな道しるべが残されています。

幸手宿は日本橋から12里(約47km)の場所に位置します。この地には「幸手一里塚跡」という石碑が造られ、かつて日光街道の一里(約4km)ごとに置かれた塚が旅人の目安となっていたことを伝えています。また江戸時代末期に建築された国登録有形文化財「岸本家住宅主屋」は、当時の面影を感じられる古民家カフェ 「上庄かふぇ」 として人々の憩いの場になっています。

[幸手市役所 商工観光課観光振興担当]
https://www.city.satte.lg.jp/soshiki/shoukoukankou/3/6534.html

01. 日光道中道標
02. 幸手一里塚跡
03. 岸本家住宅主屋内「上庄かふぇ」

日光街道で唯一の関所があった

栗橋宿(久喜市)

日光街道7番目の宿場町。ここはかつて江戸への出入りを取り締まる通称・栗橋関所(房川渡中田関所)があった場所です。東海道の箱根や中山道の碓井と並ぶ、重要な関所だったと言われています。現在は移設されていますが、その名残が関所跡の記念碑という形で残されています。「栗橋関所跡」の揮毫は、徳川宗家16代当主徳川家達のもとのこと。

この地域の鎮守として古くから人々の暮らしを見守っている「八坂神社」では、とてもめずらしい狛鯉がお出迎えしてくれます。陸路と水路、両方の拠点として旅人や船主でにぎわう栗橋の“天王様”として信仰されていました。また街道沿いには古民家がいまも残っており、各所には地元の方の調査による当時の情報を記した木札が掲げられています。例えばこの「橋原屋」は江戸末期の建築で明治中期には燃料屋が営まれていたそうです。

[久喜市観光ボランティアガイド 栗橋宿史跡巡りコース]
https://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/kanko_tokusan/guide/boranteia.html

01. 栗橋関所跡
02. 八坂神社
03. 橋原屋

※2020年3月現在の情報です。