
誠之堂・清風亭
誠之堂は、大正5年、渋沢栄一の喜寿(77歳)を記念して第一銀行行員たちの出資により建築されました。設計者は当時の建築界の第一人者であった田辺淳吉で、「西洋風の田舎屋」を独自の発想を凝縮して造り上げました。清風亭は、大正15年、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して誠之堂と並べて建てられました。「南欧田園趣味」の当時流行していたスペイン風の様式が採られています。
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誠之堂は、大正5年、渋沢栄一の喜寿(77歳)を記念して第一銀行行員たちの出資により建築されました。設計者は当時の建築界の第一人者であった田辺淳吉で、「西洋風の田舎屋」を独自の発想を凝縮して造り上げました。清風亭は、大正15年、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して誠之堂と並べて建てられました。「南欧田園趣味」の当時流行していたスペイン風の様式が採られています。
鉢形城歴史館は国指定史跡鉢形城の歴史を中心に地域の文化や歴史を学習・体感することができる施設です。常設展示室では、鉢形城の歴史や構造を、映像などを交えわかりやすく紹介しています。また、企画展示室では随時企画展を開催し、幅広いテーマで展示を行います。
この地域を治めていた豪族の墓域で、荒川沿いの河岸段丘に約800メートルにわたり古墳が分布します。今から約1,400年前頃に造られた県内有数の大規模な古墳群です。現在は雑木林の中に56基の円墳が分布します。 現在史跡の敷地内には、初春のロウバイ、春の桜と菜の花、秋のヒガンバナが植えられ、季節ごとの花を咲かせます。
明治20年、渋沢栄一ほか4名の連名にて認可を受け、日本初の大量生産が可能な機械式煉瓦工場が建設されました。窯はドイツ人フリードリッヒホフマンが考案した当時の最新式「ホフマン輪窯」で、最盛期には6基の窯が稼働していました。現存する6号窯のほか、建設及び煉瓦の製造指導にあたったドイツ人煉瓦技師チーゼの居宅兼事務所として建てられた旧事務所、旧変電室、備前渠鉄橋をご覧いただけます。 ※ホフマン輪窯、旧事務所は、保存修理工事中。見学について詳しくは市ホームページを確認。
江戸時代後期の建築と伝わっており、この地方の商家建物の趣を残す貴重な建造物です。幕末には、この家の2階で、尾高惇忠や従兄の渋沢栄一など、若き憂国の志士たちが、挙兵・倒幕の密議を行ったと伝わります。その後、惇忠は、明治政府のもとで富岡製糸場初代場長を務めました。惇忠の妹、千代は渋沢栄一の妻となり、惇忠の妹ゆうは、富岡製糸場伝習工女第一号となりました。
明治39年(1906年)建設の元栗原代八商店の土蔵造りの足袋蔵です。 現在はNPO運営の観光案内所兼まちづくり情報センターに活用されており、 2階には日本遺産ガイダンスセンターも設定されて、日本遺産や足袋蔵についての情報を提供しています。 「花手水&足袋蔵めぐりスタンプラリー」開催時は、イベントスペースとして活用されています。
明治時代、渋沢栄一の従兄で富岡製糸場の初代場長の「尾高惇忠」が秋も養蚕をするように奨励し、この地の松久村に住む深沢豊次郎は、率先して取り組みました。その後、日本全国で春・夏・秋の養蚕が行われるようになり、日本の蚕糸業の発展に寄与しました。碑の撰文と選書は、尾高惇忠によるもので、石碑建立の協力者として尾高惇忠・渋沢栄一の名が刻まれています。
7世紀に使われた窯の跡で、埼玉県内でも最古の部類に入る窯だと言われています。埼玉県の史跡に指定されています。当初は武蔵国分寺の建立のための窯だと考えられていましたが、ここから出土した瓦との照合により、坂戸市にある勝呂廃寺の建立のために造られた瓦窯であることが分かっています。
歴史的ランドマークとして知られる埼玉古墳群(行田市埼玉)は国特別史跡に指定されています。 9基もの大型古墳群がある公園で、国宝金錯銘鉄剣が出土した「稲荷山古墳」のほか、 日本最大級の円墳とされている<strong>「丸墓山古墳」は公園一番の桜スポット。4月上旬に見ごろを迎えます。</strong> また、石田三成の陣は丸墓山古墳の頂上に張ったことで有名です。 水の流れを変え、忍城を水攻めするために造った石田堤。 その一部はこの丸墓山古墳にも残っていました。 公園のある埼玉(さきたま)が埼玉(さいたま)県名発祥の由来といわれており、園内には埼玉県名発祥の碑があります。 行田市はにわの館では、<strong>自分だけのはにわ作り体験ができます。ご家族やカップルで楽しむ方がたくさん!</strong> 観光物産館さきたまテラスでは、わたぼく牛乳がたっぷり入ったソフトリームは、さっぱりしていながらコクがあり、 幅広い年齢の方々に大好評です。 他にも行田土産で人気の「行田の餃子」が味わえる定食やバーガー、前方後円墳をかたどった「行田古代米カレー」や 円墳をかたどった「丸墓山カレー」も人気です♪ 2024年には初の古墳フェスが開催され盛りあがる注目の観光エリアです。 さきたま古墳公園にいらした際は、お立ち寄り是非お越しください。
埼玉県産のスギやヒノキを使用した休憩舎を改修し、平成30年(2018年)5月16日にオープンした「お休み処」です。草加せんべいを始めとした地場産品の販売や、観光案内を行っている観光拠点の一つです。
日本文学研究者のドナルド・キーン氏から命名・揮毫いただいた木造平屋建ての数奇屋建築。茶道・華道・琴・三味線など、草加の和の文化を発信するための施設です。 なお、同施設内には、市内外から訪れた方のためのお休み処もあり、有料で呈茶サービスも行っています。
高澤記念館は、江戸時代に建造された由緒ある建築物で、国登録有形文化財にも指定されています。広い庭に囲まれた落ち着いた空間のカフェとなっており、前方後円墳の形をした行田古代米カレーと手作りケーキが味わえます。隠れ家的なカフェでゆったりとした時間を過ごしたい方に特におすすめです。
妻沼聖天山は、日本三大聖天の一つとして知られ、良縁成就・家内安全・厄除け開運・学業進学などのあらゆる良縁を結ぶご利益があると言われています。平成24年には、妻沼聖天山の本殿である「歓喜院聖天堂」が、彫刻技術の高さや近世装飾建築の頂点をなす建物であることと、庶民の浄財により作られたことは、稀有なこととして評価され、国宝に指定されました。年間を通じて、新年・春・秋の例大祭や節分会などの行事が催されています。
ひな人形や赤物など鴻巣の歴史を今に伝える展示品、明治期築造の蔵(埼玉県の景観重要建造物に指定)、モザイクアートで彩られたステージなど、みどころ満載です。市内の観光案内や特産品販売も行っており、くつろぎの特別な時間を満喫していただけます。
元荒川全長61㎞のうち吹上地域を8㎞に渡り流れています。土木学会選奨土木遺産である「新佐賀橋」をはじめとし造形に富む趣の異なる17の橋が元荒川に架けられています。 和歌や彫刻で装飾された橋も多くあり、散策にはピッタリのコースです。
公園内は、敷地中央の難波田城資料館を挟んで東西に細長く、東側が難波田城の姿を復原した「城跡(しろあと)ゾーン」、西側が市内に建てられていた古民家を移築復原した「古民家ゾーン」に分かれています。 「城跡ゾーン」は、戦国時代の難波田城の曲輪(くるわ)や水堀、土塁(どるい)が復元されています。水堀には睡蓮などの湿性植物が植栽されており、四季折々の景観が楽しめます。 「古民家ゾーン」は、明治初期に建てられ市指定文化財である古民家2棟と長屋門が移築復元されています。 穀蔵(こくぐら)や文庫蔵(ぶんこぐら)、納屋(なや)などの付属屋を新築し、富士見のなつかしい農家の風景を再現しています。 穀蔵では、郷土芸能や古民家復元のビデオの視聴もできます。また、地域交流施設「ちょっ蔵(ちょっくら)」も併設され、地元農産物や来園記念品などを求めることができます。
江戸時代末から明治時代前半に建てられた母屋と客殿を中心に納屋と2棟の土蔵があり、通りに面した箇所には石垣や白壁が築かれ、高麗郷の美しい景観を創り出しています。平成26年に国の有形文化財に指定されました。
川越城は扇谷上杉持朝が古河公方足利成氏に対抗するため、長禄元年(1457)に家臣の太田道真・道灌父子に命じて築城したものです。江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていました。現存する建物は嘉永元年(1848)に建てられたものです。2年半に渡って行われていた改修工事が終了し、一般公開されています。
水子貝塚公園は、縄文時代前期(約5500〜6500年前)を代表する貝塚として国の史跡に指定され、この貝塚の保存と活用のために整備された敷地面積約4万平方メートルの公園です。芝生の広場は当時のムラの広さを表し、5棟の竪穴住居が復元されています。その周りを園路(全長582メートル)が巡り、その外側に縄文の森が復元されています。 水子貝塚をガイダンスする展示館には、発掘調査時の住居跡を複製・再現して、貝塚や当時の人々の暮らしぶりがわかるように紹介しています。また公園に隣接した資料館では、市内の遺跡から出土した考古資料が展示されており、約3万年前の旧石器時代の石器群や、県指定文化財の羽沢遺跡出土縄文土器(愛称『ムササビ形土器』)、古墳時代初頭の鉄剣やガラス玉など、数多くの資料を通して富士見市の原始・古代について解説しています。
野火止用水は、野火止台地開拓者の大切な飲料水として、承応4(1655)年に、川越藩主であった松平伊豆守信綱が家臣の安松金右衛門に命じて玉川上水(東京都小平市)から分水したものです。現在、用水周辺には遊歩道が整備されていて、自然を楽しめる貴重な憩いの道になっています。全長は約24kmで、志木市宗岡の水田も潤していました。
岩殿山安楽寺は坂東11番の札所で古くから吉見観音の名で親しまれてきました。本尊は聖観世音菩薩で、吉見観音縁起によると、今から約1200年前に行基菩薩がこの地に観世音菩薩の像を彫って岩窟に納めたことが始まりとしています。毎年6月18日は「厄除け朝観音御開帳」が行われ、この日は古くから「厄除け団子」が売られています。現在でも、6月18日は安楽寺の長い参道に出店が立ち並び、深夜2時ごろから早朝にかけて大変な賑わいとなります。
江戸時代中期の盲目の国学者「塙保己一」の記念館。館内には「群書類従」とその原木をはじめ、古文書など約200点を展示しており、そのほかにも生涯大切に持っていたとされる母手縫いの巾着など塙保己一の遺品等も多く展示されています。展示室には映像コーナーや音声ガイドもあります。
国登録文化財の建物でもある「武村旅館(旧旅籠)」や「島村家住宅土蔵」、「小林家」といった中山道宿場町当時を思わせる建造物など、桶川宿は今も宿場時代の面影を感じることができます。 また、桶川の名産「紅花」は桶川宿に多くの富と文化をもたらし、紅花商人が寄進した石燈籠も桶川稲荷神社で見る事ができます。
国内で唯一発見された「四つ竹(カスタネット)を演奏する埴輪」や「踊る女性埴輪」は必見! 土器や石器なども多数展示するほか、上里の偉人でNHK連続テレビ小説の主人公になった“日本女性初の水上機操縦士”「西﨑キク」の生涯も紹介している。