最近、時代を感じるレトロなものが世代を問わずに改めて注目を集めています。そこで、今回は埼玉県の明治・大正・昭和の時代を感じるレトロスポットをご紹介!明治モダン、大正ロマン、昭和レトロ…それぞれの時代を感じる旅に出かけてみませんか?
長い鎖国状態が解かれて、近代国家へと歩み始めた明治時代。この時代には鉄道が開通されたり、街に電灯が灯ったり、郵便局や銀行そして学校ができました。当時の建物には古き良き日本の技術に、西洋の建築技術を取り入れたモダンな建築物が多いのが特徴的です。
明治の欧化政策を忍ばせる、美しい洋風建築
明治11年(1878年)に建てられた埼玉県師範学校校舎(鳳翔閣)の中央部外観を復元した洋風建築で、当時の欧化政策を忍ばせる美しい建造物です。2021年にリニューアルオープンし、美しく蘇りました。1階展示室は時代ごとに分けて見学でき、古代から近代の歴史的資料のほか、それぞれの時代に使われた小学校の教科書など懐かしい資料が展示されています。2階には埼玉県師範学校の資料も展示されているほか、バルコニー柱頭部には、アカンサスの葉の彫刻が施されています。アカンサスの葉は明治から昭和初期の洋風建築に多くみられ、浦和博物館を表すキーワードの一つとなっています。昔の駅や街の様子を撮影した写真も展示されているので、当時の人々に思いをはせながら鑑賞することができますよ。
人形店の蔵を改装、季節の花を楽しめる中庭も
ひな人形をはじめ節句人形作りが盛んな埼玉県のなかでも、日本を代表するひな人形の生産地として、江戸時代から400年の歴史を持ち、全国的に有名な鴻巣市。明治時代に入りその繁栄ぶりは頂点に達し、職人300人ほどが人形作りに従事していたといわれています。現在は鴻巣市産業観光館として雛人形などの展示やお土産が購入できる「ひなの里」に隣接する蔵と中庭は、埼玉県景観重要建造物となっています。明治後期に段階的に増築された人形店の蔵を改装し、木製の建具と白壁が当時の生活感を感じさせる柔らかい雰囲気と重厚さを醸し出しています。季節ごとに色とりどりの花が楽しめる中庭は、散策途中に立ち寄るのにおすすめです。ここでは人形のまち鴻巣ならではの様々な鴻巣特産品が手に入りますので、ぜひお立ち寄りください。
1912年からのわずか14年間という、日本の歴史で最も短い大正時代には、日本の伝統文化と西洋の文化が融合し、独特の文化が開花した時代です。特に建築や家具、服装などで和洋の特徴を巧みに取り入れたものが多く、それらの魅力は今も生き続けています。
建築資材にこだわり抜いた、県内有数の本格洋館
旧田中家住宅は、味噌醸造業で財を成した田中家四代目田中德兵衞が大正時代に建設した県下有数の本格的洋風住宅です。煉瓦造三階建の洋館、昭和初期に増築された和館、文庫蔵、茶室、池泉回遊式庭園、煉瓦塀により構成されており、2018年に国指定重要文化財に指定されました。
四代目田中德兵衞は、職業柄、建築資材にはこだわりがあり、当時入手できる最高級の木材が用いられました。例えば、洋館2階の座敷に使用されている黒柿は、墨のような黒色が樹の中心部に入った木材のことを指しますが、この黒柿が出る確率は1万本の柿の木の中から1本といわれており、希少な木材です。さらに、煉瓦は建築現場の近くで専門の職人に焼かせたものを使用しており、調度品はヨーロッパから取り寄せたものや、日本の企業に特注したものが内装を飾ります。洋館3階まで続く赤階段も美しく、和館の日本間の装飾も見事です。建物の見学はもちろん、日本間で行うヨガなど各種イベントも充実しています。
日本の近代教育の在り方を今に伝える
フレンチ・ルネサンス様式を基調とした和洋折衷の木造2階建て校舎は、大正12年に、旧埼玉県立松山中学校の校舎として完成しました。当時の屋根は瓦葺きで、屋根の中央には塔屋が突き出した装飾性の豊かな建物です。このような格式高い洋風の意匠を取り入れた背景には、当時の小学校の校舎との差別化や進学率の向上を目指したものと考えられています。昭和44年に老朽化による取り壊しが一時決定された際には、卒業生の強い要望を受け、正面玄関を含む一部を曳家によって移築・保存されました。創立80周年記念の事業の一環として整備され、平成16年「教育資料館」として開館。玄関内部に深谷市出身の明治時代の実業家、渋沢栄一氏が昭和4年に当時の生徒たちに贈った自筆書が飾られています。
ロマンチックなお部屋で、埼玉S級グルメを
創業大正11年(1922年)、現存する建物は昭和4年に建てられた色漆喰塗りの外観は、ほぼ竣工当時のまま、建物の内部にも洋食食堂や大広間などの座敷が今に残っています。
平成15年に現代に残る貴重な洋館として、国登録有形文化財に登録されました。
放物線のアーチや、独特の柱頭を持つ飾り柱など、表現主義と呼ばれた特徴的なデザインが随所にあしらわれ、当時の職人の技とこだわりが感じられます。ステンドグラスから差し込む光が室内を照らすなかで、埼玉県産の食材を使用した、埼玉ならではの伝統的な地場料理を堪能できます。お箸で食べる和洋折衷のほか、本格的な西洋会席コース、ランチには洋食セットなどのメニューもあります。アールデコ調の優雅な雰囲気の個室のほか、2階には和洋が融合した独特な個室があり、特別なシーンでご利用頂けます。
秩父銘仙を試着して、大正時代を感じよう
ちちぶ銘仙館は秩父織物、銘仙等に関する民俗学上貴重な資料を収集、保管及び展示している施設です。養蚕業が盛んだった秩父では、規格外の繭を使い「太織」と呼ばれる野良着を生産しており、それが「鬼秩父」とも呼ばれ大衆の普段着として好んで使われてきました。その後「秩父銘仙」と名前を変え、「ほぐし捺染」技術の開発により、大胆で華やかなデザインの織物となり、大正から昭和初期にかけて全国的に人気を誇るようになったといわれています。館内では秩父銘仙を試着したり、染め織り体験ができる体験工房(要予約)があり、織り機を使ってコースターを作ったり、ハンカチや巾着に型染めを楽しむことができます。秩父銘仙の展示ブースでは、繭から糸をとる機械の展示や実演を行っているほか、販売ブースでは秩父銘仙を購入することもできます。建築で特徴的な三角屋根の工場棟やアーチ型の本館廊下は、記念撮影におすすめのスポットです。
日本のノスタルジックな雰囲気を味わいたい方には、昭和レトロのスポットがおすすめです。下町の雰囲気を味わえる温泉や喫茶店など、長い間愛され、地域に溶け込んできたスポットを見つけに行きましょう。
美肌の湯で、昭和にタイムトリップ
自然豊かなときがわ町に佇む玉川温泉は、地下約1,700メートルの秩父古生層から湧出する全国有数のアルカリ性単純温泉(ph10)を誇る天然温泉です。週替わりで男女入れ替える「昭(あきら)」と「和(なごみ)」の湯があり、「昭の湯」は岩風呂の中から雄大な里山を感じることができる露天風呂、「和の湯」は赤富士と昭和の街並みのペンキ絵やヘチマコロンのレトロ広告が楽しめるお風呂です。館内には昭和の懐かしい駄菓子やおもちゃ、ケロリン桶グッズやアデリアレトロなど、昭和レトロなグッズが揃った「玉川商店」、近隣で既に廃業した銭湯のタイルや番台、カランなどを受け継いで作られた「銭湯喫茶玉川テラス」など、昭和の息吹が感じられ、まさに当時にタイムトリップしたかのような雰囲気です。地元特産の柚子を使用した玉川温泉サイダー、その柚子果汁を絞った後の皮を利用して作られた柚子カレーなども玉川食堂で味わえます。
今も変わらない喫茶店の味
秩父市の秩父神社前通り、レトロ感の漂う番場通りにある創業昭和42年(1967年)の喫茶店です。漆喰と煉瓦造りの建物が昭和の趣を今に残して、店内インテリアの落ち着いたレトロな雰囲気は、ホッと一息つくのに最適な空間です。
こだわりのkoizumiブレンドコーヒー、創業時から変わらないナポリタン、手作りハンバーグ、ピザトースト、手作りプリン、パフェなど、昔ながらの味が堪能できます。豊富なメニューはお食事からデザート、ドリンクまでなんと70種類以上に及びます。注文が入ってから生地を捏ね上げて作る自家製ハンバーグ、喫茶ファンに人気のナポリタン、写真映えのするデザートなど、ここでしか食べられない味をぜひ試してみてはいかがでしょうか?
昭和の邸宅を改装した和洋折衷カフェ
初代行田市長の奥貫賢一氏の邸宅を改装し開業したカフェです。当時外交官として終戦を迎えハノイの総領事から行田へ戻り、地域の人に乞われて行田市長に就任。その後公職を離れて私塾を開き、後進の指導にあたったといわれています。閑居とは、中国の「大学」に出てくる「小人閑居為不善」から取った言葉で「閑静な住まい。世事に煩わされず、自分のしたい事をしてのんびり暮らすこと」といった意味があるそうです。その名の通り、ゆったりと過ごすのに最適な空間です。1階には掘り炬燵と座敷の席、2階はテーブル席となっていて、どちらも昭和の邸宅の雰囲気そのままに、贅沢な時間を過ごすことができます。おすすめメニューはランチ閑居御膳。9皿の小皿に盛られたお料理は、季節ごとに変わる食材を利用し、美しさと美味しさを備えています。手作り抹茶ロールでお茶を頂くのもおすすめです。
いかがでしたか?
今回は埼玉県内のレトロなスポットをご紹介しました。
いろいろなスポットを巡ってみると、明治、大正、昭和…それぞれの時代の特徴が感じられるかもしれませんね。
あなたのお気に入りのスポットを見つけて、周囲の方々へも教えてあげてくださいね。
※2024年1月現在の情報です。
お出かけの際は、各施設HPにて最新情報をご確認ください。