吾妻鏡に記されている比企能員の変の記述には、若狭局の生死について明記されていません。
息子の一幡とともに命を落としたのではないかともいわれています。
一方で、比企一族がかつて暮らした比企地域には、若狭局は生まれ故郷に戻り、余生を過ごしたという伝承が残っています。
今回のちょこたびコラムでは、若狭局にまつわる伝承が多く残る埼玉県東松山市を、大河ドラマで源頼家の妻せつ役を演じた山谷花純さんが訪問した様子を紹介します。
東松山市にある扇谷山 宗悟寺は、頼家を弔うために庵を結んだことが起源とされています。
境内には地元有志により「比企一族顕彰碑」が建てられており、比企一族と地域との結びつきを感じることができます。
ここには、若狭局が持ってきたと伝わる源頼家公のご位牌が安置され、また、頼家との別れをとても悲しんだ若狭局が、蛇に巻き付かれたような苦しみから逃れるために祈願したとする「蛇苦止観音」も祀られています。
※源頼家公のご位牌と蛇苦止観音は現在一般公開されておらず、本堂の前に写真パネルが設置されています。
宗悟寺の近くには「串引き沼」という沼があり、次のような伝説が伝わっています。
「その昔、夫頼家を殺された若狭局は、大谷村に逃れ比丘尼山の草庵に住み、夫頼家の菩提を弔っていましたが、いつまでも夫を殺された悲しみから逃れられず悲しんでいました。それを見かねた祖母比企の尼は、若狭の局に、心の迷いを去らせる為に、鎌倉より持参し肌身離さず持っていた夫頼家から贈られた鎌倉彫の櫛を捨てさせようと心に誓いました。
夜の明けはじめた早朝、朝の勤行を済ませ、祖母の比企尼と二人連れだってこの沼に行き、頼家形見の櫛を沼に投げ入れました。櫛はかすかな水音を残して沼底深く沈み、その姿が見えなくなりました。
その時若狭局はもちろん、比企尼の両眼からも涙がとめどなく流れ落ちていました。時は元久元年(1204年)7月半ば、丁度、夫頼家の命日に当たる日であったと云います。」
(東松山市観光協会HPから引用)
宗悟寺とあわせて訪れてみてはいかがでしょうか。